死民と日常―私の水俣病闘争

 水俣病闘争って何を患者が訴えているのかということね。

(中略)

 それが何かってことはね。まっとうな世の中のね,正義ってものを求めたんでしょうねえ。その正義っていうのは何もさ,修身の教科書に出てくるような,背中がピーンとしてせせこましい,そういう正義じゃない。それは人情と言い換えてもいいんだけども。要するに地域社会でですね,地域社会っていろいろあるわけですよ,もうたまらんようなこといっぱいあるわけなんで。だけど地域社会で実現されてる一番いい部分ですね。日本の庶民の道徳ですね,原理ですね,最低限の規範ですね。つまり人と人が何で一つの部落という社会を作って住んでいけるのかっていうことなんですね。人と人を繋ぐものは何かっていうことですね。それによって自分たちがは規定されている。自分たちはそれさえあれば救われる。ところがチッソはどうか。チッソにそれを見せてほしいわけですよ。見せてくれない。同じ人間同士としてですね,同じ人間同士で,自分は当然こうだと思うことがどうして通らないのか。なぜチッソはそのことを認めないのか。どうして世の中がこれを認めないような世の中なのかってことです。

 ですから根本的にはですねえ,やはり人間がお互い共同性ということでね,お互いの共同性の繋がりで信頼しあって生きていける世界ということでしょうね。共同的な社会は現実にはいろんなもう大変で嫌なことあるわけですよ。そこでちゃーんとした当然の道理が通る,そういう世の中をですね,求めなはったんですよ。世の中ってのはおかしいけど。そういう生き方を求めなはったわけです,チッソに対して。

出版社弦書房
発行年2017年

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