朝の影のなかに

まえがき

 私がオプティミストというときに、それは、おそろしいほどまでに堕落と腐敗を示す数々の徴候にとりかこまれながらも、明るい調子で、まあ、それほどわるくはないさ。みんなけっこううまくいっているさ! と叫ぶ手合のことではない。よくあるほうへとむかう道がほとんどみつからないばあいでも、なお希望を失わない人のことを、私はオプティミストと呼ぶのである。

9  科学の誤用

 科学の誤用ということについての判断は、直接、人間の生命をほろぼし、大量に財貨を破壊する手段の開発を問題にするばあい、いっそう批判の牙をとぎすます。この文章の筆者たるわたしは、けっして絶対無抵抗主義を標榜するたぐいの急進平和主義者ではない。人を殺すことは否定する。だが、それでは個人の正当防衛とか法秩序の維持とかについてはどう考えるかといわれれば、わたしは判断を保留する。いや、それどころではない、国民はその祖国に仕え、軍事義務の命ずるところにしたがって人を殺し、みずからも生命をすてる用意がなければならないとわたしは確信しているのだ。しかしながら、なおかつ、わたしはこうおもう、もしも選択せよということであるならば、人類全体の過誤の上にのっかった少数者の生存という事態よりは、むしろ自由意志にもとづく全員の死滅がえらばれるという、そのような状況も考えられるのではないかと。

(中略)

 だが、しかし、いったいなぜここまできてしまったのか、歴史上ありとあらゆる文明が、高次低次の別を問わず、これは神のはたらき、あるいはまた運命の、デモンの、自然のはたらきとみておそれたような作用をもたらす手段を使って、科学のたすけをかりて、なぜ、人間同士たがいに戦いあわなければならないのか。この世界を存立せしめる第一原理をあざわらう悪魔の嘲笑がきこえるではないか。それくらいならば、わたし罪深い人類は、おのれじしんの無価値性のうちに没落していってしかるべきであろう。

出版社中公文庫
発行年1974年

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