SINSIN AND THE MOUSE

 この爪にきれいな色をぬる時間の余裕ができたのは最近だった。母の体を傷つけないように触れるためにいつも短く切っていたので,小さい爪がますます小さくなった。私は爪を見た。よくがんばった,ちゃんと役立っていたよ,ありがとう。伸び続けてくれて。そして,いつかもう伸びなくなってしまう日が来るんだね。そのことを私は忘れちゃいけないね。

 私は母の爪を切るのが嫌いだった。痛くさせてしまいそうでこわいし,母の爪には縦に線が入っていてしなびた感じになっているのもこわかったし,爪に汚れがあるとなぜか下の世話以上に気になった。でも今思い返すと,母の手をていねいに拭いて,自分の膝の上に置いて,爪を切っていくあの行為の中で,私を信頼してちんまりとおとなしくしていた母が愛おしくてしかたない。

掲載誌「新潮」2018年1月号
発行年2017年

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