いくつものこといつものことーPhoto Workshop, Sendai 1996-1997

あとがき

 確かにそこにあったはずなのに、何があったか思い出せない…、そんな日常。そんな街の片隅。それらのなにげない、しかも個人的な風景の断片を集めることで見えてくる街。

  「モノクロームの街」と題されたこの「写真の技術や知識にこだわらず、街の日常を撮る」というテーマに興味を持って集まった私たちは、ちょうど「モノクロ=オシャレ」のイメージでのモノクロブームのさなか〝いつもポケットにカメラを入れておくこと〟〝撮ったらなぜそれを撮ったのかを問い直すこと〟を意識しながら、オシャレとは程遠い日常を気の向くままに撮り続けました。

 モノクロの写真には、時代を超える普遍性と見る人の記憶や経験によって広がる可能性、そして色を消すことで色が持つインパクトやそこで出来上がってしまいがちのイメージを取り除いた〝そのもの自体〟を見ることになるという利点があります。

 使い切りカメラの使用には、とにかく誰もが簡単に、そして対等に写せるという意味がありました。けれども使ってみると、気軽に写せる反面、ファインダーで見たものと実際写る範囲とにズレがあるため、頭の中で作ったはずの構図が見事に崩れ予想と違った写真が仕上がってくるのです。写そうとしたものの横や後ろに勝手に写り込んでくる余計なものたち。でもこの使い切りカメラと付き合ううちに、初めは〝余計な〟と感じたものが 次第におもしろいと思え始め、逆にそれを楽しめるようになってきました。考えてみると「合理的」ばかりが良しとされ、余分なものを切り捨てることに夢中になっている時代の中で、私たちは〝無駄〟といわれるものを改めて見てみる余裕さえなくしていたのかもしれません。そこには街のつぶやきや光があったかもしれないのに。

 どんな街でも、その街の持つ表情や空気を作っているのは、まぎれもなくそこに暮らすひとりひとりの小さな個人です。カメラを持ったことで、いつもと変わらないはずの自分の周辺に新たな発見をしたり、それまでとは違った場所から日常を見たりしながら、気がついてみると、街を見つめることはいつしか自分自身を見つめる作業へと変化していったように思います。

 ここに集まった写真は、決して特別な人々が撮ったものではなく、ましてや特別に上手な写真でもありません。ここにあるのは、自分と自分の周辺を見つめて見えたもの、それぞれが見つけた今です。ほんの少しなくしかけていた自信を取り戻した人、ここからも一歩踏み出した人、様々なひとりひとりがどこかへと向かう最初の一枚。

 長い長い時間がたった時、この写真集から”私たちがいた街が見えてくれば…。それが私たちの願いです。

出版社仙台市青年文化センター
発行年1997年

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