今日は昨日の明日

 政治家の汚職だろうと、個人の私行だろうと、モンダイなるものが発生すると、たちまち集団ヒステリー症を起してシロかクロかの議論だけしかできなくなるニッポン人の全体主義者風の心性にはがまんがならないが、これはどうやら根がどこまで入っているのかまさぐりようがないくらい、深くて、しぶとく、そして、卑小である。その心性が明も生みだし、暗も生みだすのだが、今後もずっと肥大しつづけることであろう。

 ヴェトナム戦争のときの議論もそうであったし、方角とフィールドはまったく異なるけれど、小林秀雄についての議論もそうであった。もともと“議論”などというものではないのである。合唱、そしてたちまちの忘却があるだけで、テーマがどう変わってもその裏の心性はいつまでもおなじである。

出版社筑摩書房
発行年1984年

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です